みんな書いたであろう高校の日誌の話

 

 

何年前であろうが構わないのですが、高校で学級日誌なるものを書いたことがある人は多いと思います。

 

 

今思えば月に1度回ってくるかこないかの日誌の経験がブログを始めるきっかけだったかもしれません(っていうことで更新月1回とかでも許してね!)

 

 

みんながみんな日誌に力を入れていたわけではないですが、気の利いた所感を残してくれる高校3年間ずっと担任だった英語教師が好きで周りよりは頑張っていました

(大体の人は部活頑張りたいです、勉強頑張りたいですみたいなどうコメントすればええねんと感じるスカスカのことしか書いてなかったので。並一通りの文章書いて読む側がどう思うか想像力を持ったほうがいいのでは?)

 

 

ということで覚えてる限りの日誌を振り返って見ましょう!

 

 

 

と言っても高校生だったのは何世紀も前の話ではっきり覚えてないので大筋だけ

 

 

 

 

食べログとかのご飯レビューサイトで評価が高くてもがっかりすることがあるので、ユーザー個人の投稿から分析される趣味嗜好に合わせてアルゴリズムで最適な店を提案してほしい。これからのサービスは音楽とかでもそれが主流になるだろう。

 

 

みたいな内容を書きました。当時は食べログにフォロー・個人に合わせたオススメの仕組みがなく、先見の明のあった文章でした。えっへん。

 

 

これに対して愛すべき担任は新しい考えで面白いと評しつつも、どんな食事でも感謝して食べられるといいですねと。

 

 

 

 

 

やられた。

 

 

 

 

 

僕が美味しいか美味しくないかの二元論的な話をしているのに、それより一歩高度な次元の話をされて自分の小物っぷりを感じました。

 

 

日誌の論点とずれてて一歩間違えればクソリプじゃねえかと思うかもしれませんが僕にはすんなり入って来て大人だなぁと思いました。

 

 

 

もう1つだけ

 

 

 

文系と理系の違いを表した有名な文章として「雪が溶けると何になる?の質問に理系は水になると答える一方文系は春になる」があるが、それはナンセンスだ。なぜなら理系なら水 (H2O) の個体を雪ではなく氷と答えるだろうし、文系のみんながみんなポエマーではないからだ。

 

それに代わるものとして「なぜ野球の変化球はバッターの手元で変化する?」の答えに文理の違いが現れると提唱したい。(ちなみにピッチャー・バッター間の距離は偶然により決まった背景がある)この問いに理系は重力加速度とマグヌス効果により%&!^:¥~#$>と説明する一方、文系はバッターの手元で変化する球を投げられる投手だけ生き残っているからと答える。

 

でもよくよく考えたらこの文系の考えってダーウィンの進化論を発展させたスペンサーの考えだから大元にあるものって文理もクソないかもね!!

 

 

 

っていう内容です。今見ると穴だらけの理論ですがこういうの書くの好きだったんだなと思います。

 

 

もちろんこの日誌は担任から褒められて、理由はこれだけじゃないけどそこそこ気に入られてお家に呼んでもらったりご飯もご馳走になったりお世話になりました

 

 

 

話は変わるようだし、自分を正当化するようで気持ち悪いけどこの際言わせてもらうと、僕には高校の先生に気に入られているような人を友達にしたい考えがあります。

 

 

これはもちろん媚びを売るのが上手いとかじゃなくて、日誌とかなんでもいいけどいろんなイベントに全力を尽くせる人が周りにいたら楽しいなということです。運動会でも文化祭でももちろん合唱コンクールでも。そういう人は先生に好かれるのでいい指標になると個人的に思います。

 

 

斜に構えて傍観するのは勿体無いし、流行りには乗ったほうがなんだかんだ楽しいし、逆張りするよりいい気がします

 

ちょっとこの記事に共通するかも

www.danro.bar

 

そういえばもうすぐ学園祭ですね

行く人いたら呼んでください。担任に最後にあったのは今年の大雪の降った池袋でした。